大東・小5自殺:「悩んでいたこと把握できず」校長が謝罪 毎日新聞 2013年02月15日
大阪府大東市立小学校の5年生男児(11)が学校統廃合の中止を求めるメモを残して自殺した問題で、市教委が15日、記者会見を開き、校長は「ここまで思い悩んでいたことを把握できなかった。非常に申し訳ない」と謝罪した。
校長によると、男児は昨年、「学校がなくなるのは本当に残念」と作文に書いたが、思い悩む様子は見られず、自殺当日も普段と変わりなかったという。校長は「男児は繊細で非常に優しい子。もっと子どもたちの気持ちに目を向けるべきだった」と話した。
市教委は、男児の両親から「死ぬことで事態を変えようとするのは正しいことではなく、統廃合を中止してほしくない」との要請があったとして、予定通り統廃合を実施するという。
先日、とてもショッキングな記事を読みました。小学5年生の男の子が、自分の学校の統廃合中止を訴え、電車に飛び込み自殺をしてしまったのです。統廃合と言っても、自分の学校のほうが廃校となり、なくなってしまうので、それを悲しんで、あるいは、自分が死ぬことで学校を存続させようと、自己犠牲のつもりで死んだのか、それとも本当は他に死にたい理由があったのか分かりませんが、親としては、無念でならないでしょう。
実は以前から感じてはいたのですが、自殺した人や家族のことを思うと、あまり批判的なことは言えないなと思って、書いてきませんでした。しかし今日は、その辺、少し踏み込んで書くことにします。
いじめや、体罰、虐待を受けて自殺をするケース。これは「今の現状から逃げる・自分を守るには、死ぬしかない」、そう選択をせざるをえない状況まで精神的・肉体的に追い込まれて、自殺をするのだと思います。非は100%加害者側にあります。実質、加害者が殺したようなものです。殺人罪は適用されませんが、それに近い刑罰を設けてもいいかもしれません。
しかしその一方で、紛れも無い事実として、最期の最期で、自殺という選択をしたのは本人に間違いないのです。自殺を決断させる要因のひとつとして、加害者への復讐という面があったのではと想像をしてしまいます。つまり、自分が死ぬことで、加害者の行為が発覚し、刑事罰や社会的制裁を受けたり、もし制裁まで行かなくても、『間接殺人』という加害者自身の心に一生消えない暗い影を落として、悩ませたりして、自分がさせられたのと同じくらいの苦しみを与えてやりたいと思って、自分の命という最大の武器(と思っているだけで、本当は違うと思います)を使うんだと思います。
自分の命を懸けて訴えれば、もう少し言えば、誰かの死というショッキングな出来事がないと、周りは動かないという風潮があるんではないでしょうか?それを若者は敏感に感じ取って、世間に訴える手段として、自分の死という選択を取ってしまうのではないでしょうか。
しかし、本懐を遂げるのに自分の命を使うという手法は、間違っています。命懸けの意味を取り違えてはいけないと思うのです。「人間、死ぬ気になれば何だって出来る。」よく聞く言葉ですが、私も本当にそう思います。でも、『死ぬ覚悟で』と言っても、本当に死んじゃダメです。もちろん、殺してもダメです。自分の生も、相手の生も、奪ってはダメなのです。
人は誰かを殺したいと思う衝動があっても、実際には殺したりはしません。それが普通です。生きていれば、殺してやりたいと、憎く思う事があっても全然おかしくないでしょう。でも殺しません。それが人間です。また、死にたくなる事も、きっとそれ以上にあるでしょう。程度の問題は別として、ふと自殺願望が頭をもたげるなんて経験ってありませんか?でも実際には、死にはしません。しばらくふさぎ込んでも、もう少しがんばってみようと気持ちを切り換えます。
本来、死へのハードルはとても高いものなのです。しかし最近、そのハードルが下がって来ているように思えるのです。命の尊さが軽んじられているような気がするのです。私も家庭で、子供達に十分に、命の教育をしているかと問われれば、自信がありませんので、言う資格はないのかもしれませんが、せめて学校で、もっと命についての教育をしてもらえないかと思います。 若い人が安易に命を落とす、そんな風潮は絶対に変えていかなければいけません。
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