これからは『短汚語』と呼びたいと思います

近年、言葉の簡略化が顕著のように感じます。その最たるものは、「り」で「了解しました。」でしょうか。これ以上は縮められないところまで来ましたね。まあ元々言葉とは、自分の意図、考え、状況などを出来るだけ相手・対象にスムーズに伝えるかというツールですから伝われば、極論何でも良いのです。

しかし、このところ「ウザッ」「キモッ」「ダル」「ムリ」さらには「シネ」などの主に二語で表すネガティブな言葉をよく耳にします。突然耳に入ってきて非常に不快です。私はこれらを『短汚語』と呼びさらには英語に訳した時に”short mean words”と名付けたいと思います。

これらの短い言葉は、言葉というよりむしろ「ガオー」とか「ギャア」とか言葉を発しない動物の鳴き声や叫び声に近いと感じます。故に正しいコミュニケーションが取れるとは到底思えないのです。また普段からこういった短い言葉で会話を済ませ続けていると語彙が増えず、本当に説明が必要な時に言葉が見つからず、結果言葉に寄らない方法(怒鳴り声、暴力行為)などで自分の意図を強引に相手に理解させ、自分の思うようにしようとします。こんな人、あなたの周りにいませんか?嫌ですよね。なので、小さい頃からリテラシー(読み書きする能力)を高める事はとても重要なのです。

リテラシーの低い人と会話を正しく成立させる事はとても難しいです。故にリテラシーの低い人には重要な仕事は依頼出来ません。依頼内容を正しく理解出来ているか不安だからです。そうなるとリテラシーの低い人は、自分がバカにされていると感じる、劣等感や屈辱感を感じるなどして、相手に威嚇行為や暴力行為に出たり、逃げ癖や諦め癖がついてしまったりします。自分に自信が持てなくなってしまうんですね。

そうならない為には、国語の勉強を一所懸命にしないといけないのでしょうか?いいえ、そんな事はありません。今の高齢者やその上の世代で中学校もまともに行かせてもらえなかったという話しは山ほど聞きますし、自分の世代でも大学・短大・専門学校進学は半分以下、1/3程度だったかもしれません。しかし、自分達とそれ以上の世代がリテラシーが低いとはあまり感じません。では何が違うのでしょうか。そうです。昔は、先程上げたような『短汚語』で会話を済ますなんて事はなかったのです。

言葉を無理に簡略化せず、日頃からきちんと言葉を使うのです。「ウザッ」の一言で済まさず、煩わしいなら何が煩わしいのか、うるさいと感じるならどの部分がうるさく感じるのか、面倒くさい・手間がかかると感じるのか、はたまた気分が悪くなるのか、『何が』『何で』の部分まで含めて相手に、いわゆる自分の「ウザッ」という感情を言葉で説明する癖をつけるのです。きちんと言葉を使う事の重要性を理解する事が社会で生きやすさに繋がります。ちなみに、私の空手クラブでは、『ムリ禁止』を徹底しています。どんな内容の会話でも「ムリ」というワードをNGにしています。もし使っているのが聞こえたら、私は即座に「ムリを別の言葉に言い換えてください。」と言っています。

また、自分の声を100%聞いているのは自分です。汚い言葉、ネガティブな言葉を使い続けていたら、それこそずっと自分で自分に悪口を言っているようなものです。たまに誰かに愚痴を聞いてもらうのもいいでしょう。弱みを見せたり、本音を吐ける人がいるというのはとても大事な事です。しかしいつもではダメです。基本はポジティブたまにちょっとネガティブ。このバランスで行きましょう!

 

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